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7月31日、酪農学園大学で

「原発問題と酪農学園大学:健土健民の視点から」

というテーマでシンポジウムが行われました。

これは「原発」「TPP」「憲法」という、現在の日本社会が抱える大きな三つのテーマについて、パネラーと会場に来た方が話し合う連続シンポジウムです。

「原発」はその第一弾として行われました。

今回の「原発」のシンポジウムでは5人のパネラー(内、河合先生は体調不良ということで残念ながら参加できませんでした)が話すことになり、「虹の会」代表として僕、柳寛人もパネラーの一人として参加させてもらいました。

僕以外のパネラーは理事長、教授で話す直前まで緊張して手が震えていましたが、無事10分間という発表を終えることができました。

これも会場に来てくれた多くの方々のおかげだと思います。僕の友達やチーム☆OKの皆さん、そしてえべみーのメンバーなど本当に多くの知人がこのシンポジウムに集まって下さいました。

知っている顔が見えるというのは、安心するものですね。皆さんお忙しい中来て下さり、本当にありがとうございます。

また、シンポジウム全体としても100人前後の方が来て下さったようです。当初は50人前後と考えていたので、これはうれしい誤算でした。

以下、長文となりますが、10分間のプレゼンで僕が話した内容を載せます。

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皆さん、こんばんは。

酪農学園大学地域環境学科に所属しています、4年の柳寛人と言います。僕は現在、『虹の会』という団体の代表をさせてもらっています。

『虹の会』は昨年12月に僕と友達二人で創った北海道への原発避難者の方々を対象とした団体です。現在は札幌市近郊への原発避難者の方々の団体である『チーム☆OK』と主に活動をしています。

今日の発表ではそうした『チーム☆OK』、そしていわゆる『原発自主避難者』と呼ばれる方々と関わる中で僕が感じ、考えたことを皆さんに少しでもお伝えできたらと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

僕は先ほど『原発自主避難者』という言葉を使いましたが、「自主避難」という言葉を聞いたことがある、知っているという方は会場にどのくらいいらっしゃるでしょうか?

「聞いたことがあるよ」「知っているよ」という方は挙手をお願いします。…あ、結構知っている方がいますね。ありがとうございます。
 
それでは改めて僕の方から言う必要もないのかもしれませんが、少しだけ話をさせてください。

東日本大震災を受けて北海道へ避難してきている方々の数は行政が確認しているだけでも約3,000人とされています。こうした3,000人の中にはもちろん津波や地震の被害で避難をされてきている方もいらっしゃいますが、その多くが福島第一原発事故による「原発避難者」です。

また、そうした原発避難者の多くは政府が指定した強制避難退去地域の外から避難してきた方々です。こうした方々は「自主避難者」と呼ばれています。
 
今回皆さんにお配りした資料の中に「みちのく会の会員出身地」というグラフがあります。まずはこちらをご覧ください。1ページ目の上部にあります。
 
           <みちのく会の会員出身地>

図
(参考文献:『みちのく会通信No.11』2012年9月26日)

みちのく会とは、東日本大震災及び福島第一原発事故を受けて北海道へ避難されてきた方々の自助組織です。

先ほど北海道への避難者は約3,000人と言いましたが、その内の1,000人を超える方々がこの「みちのく会」に所属しています。このグラフはそうした「みちのく会」の会員の出身地をまとめたものです。

パッと見て、福島県からの避難者が圧倒的に多いことがわかりますが、何か他に気付くことはないでしょうか?…東京・茨城・千葉などの関東圏からもここ北海道へ避難してきていることがわかります。

こうした関東圏からの避難者だけでも100人を超えます。こうした方々が「原発自主避難者」です。

また、福島県786人の中にも政府が指定した20km、30kmという強制避難退去地域の外から避難してきた自主避難者の方々がいます。

僕は今までこうした自主避難者の方々と一緒に活動をしてきました。その中で特に感じたことの一つが、自主避難をすることで家族や友達との分断が起きてしまっているということです。
 
皆さんはご存知でしょうか?

北海道への原発避難者の実に6~7割が「母子避難」と言われています。旦那さんが一緒に避難できていないのです。

なぜ、原発避難者の半分以上がこうした「母子避難」になってしまっているのでしょうか?…その大きな理由の一つに「仕事」があります。

原発自主避難者のほとんどが現地での仕事を辞めて、北海道へ避難してきているのです。そうした仕事を辞めることが旦那さんが一緒に避難できない大きな理由の一つになっていると考えられます。

また、その他にも自主避難に対して旦那さんの理解が得られず、そのために一緒に避難できていないという家族もいます。そのために離婚をしてしまったというケースも聞いています。

さらに、旦那さんが一緒に避難できている家族でも、おじいちゃんやおばあちゃん、親せきや友達と一緒に避難できている方はほとんどいません。このように、自主避難をしてきた方々のほとんどがこうした多くの別れを経験しているのです。

そして、家族や友達と別れて、自分で決めて避難をしてきたために

「本当に避難してきて良かったのだろうか…?」

「私が家族から子どもを奪ったのではないか…?」


と、自分自身を責め、避難してからも自主避難という決断に対して後ろめたさを感じている方が大勢いました。

僕はこうした状況ができてしまっていることが悲しく、そして悔しいです。

原発避難者の方々の多くが小さな子どもを抱えたお母さんです。放射能の影響は小さな子どもほど大きく出ると言われています。そうした子ども達を守るために、政府が避難指示を出していないにも関わらず、一生懸命、それこそ一日中インターネットにかじりついて、

「ここにいて本当に大丈夫だろうか?」

「いや、ここにいたら子ども達を放射能から守ることができない!」

と、自分で判断して避難をしてきた…それが原発自主避難者の方々です。

自主避難者のほとんどが仕事を辞めて、土地や家も置いて、本当に着の身着のままで避難してきているのです。段ボール5箱だけで北海道へ避難してきたというお母さんもいました。

そうした方々が「自分の避難は間違っていたのではないか…?」と後ろめたさを感じてしまっている状況が今あるのです。

子どもを守るために多くのものを犠牲にして避難してきたお母さん達がこうした感情を抱いてしまっていることが、僕は悔しいです。

東日本大震災によって被害を受けた東北の地域には酪農学園大学からも大勢のボランティアが行っています。

しかし、ここ北海道の、しかもすぐ隣の札幌市にこうした多くの原発避難者の方々がいることを、どうか皆さん忘れないでください。そして、できるならばこうした方々と一緒に話し合い、寄り添っていってください。

原発事故はとてつもなく大きな問題です。これから先、僕たちの前にはたくさんの課題が立ちふさがってくると思います。しかし、まずは道民と原発避難者の方々が一緒に話し合い、お互いに理解しあっていくことで、こうした原発事故という大きな問題を克服していくことができるーそう僕は信じています。

今日は皆さんの貴重な時間を頂き話をさせてもらい、ありがとうございました。これで僕の発表を終わります。ご静聴ありがとうございました。
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